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1955年 4月 |
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有限会社渡辺プロダクション創立
渡辺晋前社長とともに、新しいマネージメント体系によりショービジネスの世界に合理化、近代化をもたらし、音楽芸能プロダクションという新しい音楽産業を我が国に確立する。 |
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1958年 2月 |
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東京・日劇にて「ウエスタンカーニバル」を プロデュース
山下敬二郎 、ミッキー・カーチスら総勢60名が出演し、記録破りの入場者を集めるロカビリーの大ブームを巻き起こす。若者の手による若者のための音楽が市民権を得るきっかけをつくった。その後ウエスタンカーニバルは、1981年まで毎年上演され、日本のポピュラー音楽に大きな隆盛をもたらした。 |
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1959年 4月 |
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渡辺プロダクションを株式会社に改組 代表取締役副社長に就任
ザ・ピーナッツをスカウト、発掘養成の第一号としてプロデュース。続いて多くの優れたタレントを世に送り出し、プロダクションのパイオニアとして業界の地位を確立した。 |
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1959年 4月 |
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テレビ番組のユニット制作を開発
フジテレビ開局と同時に、渡辺プロダクションで自主制作した「おとなの漫画」「ザ・ヒット・パレード」を提供し、高視聴率を獲得する。また1961年には「シャボン玉ホリディー」を日本テレビに提供し、全国のお茶の間を席倦しテレビの発展、テレビ文化の向上に貢献した。 |
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1961年 8月 |
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原盤制作第一号、植木等「スーダラ節」、音楽出版社という新しいビジネス・システムを生む。 |
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1962年10月 |
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渡辺音楽出版株式会社を設立 代表取締役就任
この年、カテリーナ・バレンテを日本へ招聘。 彼女のプロデューサーでもあり夫のエリック・バンアロー氏が「外国には音楽出版社と いうものがある。 ビッグ・ビジネスであるミュージック・パブリッシャーは日本では どうなっているのか」との質問がきっかけで、従来レコード会社が 制作していたレコードの原盤制作を自社で行い、管理することに着目した。 このシステムは音楽プロダクションの社会的な地位の向上と経済的安定をもたらした。 |
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1963年 6月 |
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東京音楽学院設立 学院長就任 |
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1964年 5月 |
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株式会社 渡辺企画設立 代表取締役就任
テレビCMの自主制作を初めて開発する。このシステムはアーティストに幅広い人気を与えることにより、その活躍の機会を増すとともに新たなビジネスの道をひらいた。 |
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1965年 1月 |
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第15回サン・レモ音楽祭参加、伊東ゆかり歌唱部門の二位に入賞。 |
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1966年 3月 |
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株式会社ぷろだくしょん「道」設立 代表取締役就任 |
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1966年 12月 |
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第5回「婦人公論」最高殊勲婦人「監督賞」受賞 |
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1967年1月 |
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MIDEM(フランス・カンヌ)第一回開催に参加。 |
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1967年11月 |
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アポロン音楽工業 株式会社設立 代表取締役就任 |
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1967年12月 |
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万国博覧会ポピュラー部門 プロデューサーに就任 |
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1970年3-9月 |
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大阪万国博ホールにて開催
オープニング・スペシャル・ショーのサミー・デイビス・JRをはじめ、アンディ・ウイリアムス、ジルベール・ベコー、フィフス・ディメンション、マレーネ・ディートリッヒら超一流のアーティストを招聘し、国際的な文化交流を深めるとともに、EXPO 70の目玉として大成功をおさめたその手腕と名声は、国内はもとより海外まで高く評価される。 |
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1971年 3月 |
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社団法人 日本レコード協会 理事就任 |
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1971年 10月 |
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社団法人 日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員就任 |
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1972年 5月 |
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財団法人 東京音楽祭協会 理事就任 |
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1973年 9月 |
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社団法人音楽出版社協会設立(1980年社団法人認可)、理事就任 |
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1975年 1月 |
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第9回MIDEM参加、初めてWATANABEブースを開設する。 |
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1977年 3月 |
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財団法人 渡辺音楽文化フォーラム 理事就任 |
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1977年 10月 |
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社団法人 日本音楽著作権協会(JASRAC)理事就任 |
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1978年 1月 |
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国際ポピュラー音楽出版社連盟(IFPMP)設立(1979年国際音楽出版社連合(ICMP)に統合)、理事就任 |
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1978年 9月 |
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株式会社 サウンズ・マーケッティング・システム(SMS)設立監査役就任 |
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1980年 5月 |
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社団法人 音楽出版社協会(MPA) 副理事長就任 |
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1982年1月 |
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国際音楽出版社連盟(IFPMP) 理事就任 |
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1982年 |
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CISAC(著作権管理団体の国際機関)総会に出席、ローマにて開催。 |
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1984年 5月 |
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株式会社 ザ・ワークス 設立 |
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1985年 9月 |
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株式会社 ココロ 設立 取締役就任 |
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1986年 4月 |
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アポロン音楽工業 株式会社 取締役就任 |
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1986年 4月 |
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株式会社 渡辺エンタープライズ設立 監査役就任 |
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1986年 6月 |
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社団法人 日本レコード協会
理事就任 |
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1986年 6月 |
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株式会社 サーティースリー・クリエイティヴ代表取締役副社長就任 |
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1987年 2月 |
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岩原観光 株式会社
代表取締役社長就任 |
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1987年 2月 |
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株式会社 イザワオフィス 取締役就任 |
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1987年 2月 |
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株式会社 サウンド・シティ 代表取締役会長就任 |
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1987年 6月 |
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株式会社 ザ・ワークス 取締役就任 |
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1987年11月 |
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株式会社 渡辺プロダクション 代表取締役会長就任 |
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1989年 3月 |
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渡辺音楽出版 株式会社 代表取締役会長就任 |
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1989年 6月 |
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株式会社 渡辺企画 代表取締役社長就任 |
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1989年 6月 |
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株式会社 サウンド・シティ 代表取締役会長就任 |
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1990年 4月 |
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プロサーブ・ジャパン事業部(渡辺企画) 設立、海外のスポーツアスリートのマネージメント業務開始。 |
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1991年 1月 |
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第25回<MIDEM>開催 25周年記念 *湾岸戦争のため欠席 この年の25周年を迎えたMIDEM当局は「世界の音楽産業の発展に寄与し、この4半世紀に渡り貢献してきた音楽業界人のベスト12人」を発表しその功績を顕彰した。渡辺会長がその12人の中に女性としても日本人としても初めて選ばれた。 |
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1991年 6月 |
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ICC(国際著作権連合)会議出席、フランスにて開催 |
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1991年 12月 |
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報酬請求権制度導入に伴い、文化庁より 「私的録音・録画問題協議会」の委員に委嘱される |
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1992年 1月 |
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第26回<MIDEM>開催 初のジャパン・ブースを開設 |
| 1992年 4月 |
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フレディー・マーキュリー(クイーン)「メモリアル・コンサート」参加 ロンドン、ウェンブリー・スタジアムにて |
| 1992年 5月 |
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IFPMP(国際著作権連合)理事会(ニューヨーク)出席 |
| 1992年 7月 |
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音楽出版社協会理事長(1998年会長に改称)就任 |
| 1992年 10月 |
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社団法人 日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員再就任 |
| 1992年 10月 |
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社団法人 日本音楽著作権協会(JASRAC)理事再就任 |
| 1993年 3月 |
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社団法人私的録音録画問題協議会発足 副理事長就任 |
| 1993年 3月 |
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社団法人 私的録音補償金管理協会(SARAH) 発足 理事就任 |
| 1993年 4月 |
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財団法人 音楽産業・文化振興財団設立、 副理事長就任 |
| 1993年 4月 |
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文化庁「私的録音録画問題協議会」委員を嘱託される |
| 1993年 7月 |
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株式会社 渡辺企画 代表取締役会長就任 |
| 1993年 9月 |
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芸術文化産業研究会(通産省管轄)委員を嘱託される |
| 1994年 9月 |
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CISAC(著作権作曲者協会国際連盟)総会(ワシントン・D.C.にて出席) |
| 1994年 9月 |
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NMPA(全米音楽出版社協会)総会出席 クリントン大統領に招待されホワイトハウスにて大統領主催のレセプションに出席 |
| 1995年 5月 |
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第1回<MIDEM ASIA>ホンコンにて開催 |
| 1995年 6月 |
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社団法人 音楽出版社協会(MPA) 理事長再就任 |
| 1996年 5月 |
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第2回<MIDEM ASIA>開催 |
| 1997年 5月 |
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第3回<MIDEM ASIA>開催 、香港にて MIDEM当局より長年の国際的な交流に対して表彰される。と同時にフランス政府より「シュバリエ芸術文化勲章」を受賞 |
| 1998年 6月 |
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社団法人 音楽出版社協会(MPA) 会長(理事長より改称)就任 |
| 1998年 6月 |
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JASRAC功労者として表彰される |
| 1999年 1月 |
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渡辺プロダクション創立40周年記念 故渡邊晋十三回忌、社史「抱えきれない夢〜渡辺プログループ40年史〜」を発刊 |
| 1999年 3月 |
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私的録画補償金管理協会設立 |
| 1999年 6月 |
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社団法人 日本音楽著作権協会 (JASRAC)より永年功労者として表彰される |
| 1999年 7月 |
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文部大臣より著作権法100年記念特別功労者として表彰される |
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| 2001年 6月 |
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社団法人 音楽出版社協会(MPA) 会長再就任 |
| 2001年 8月 |
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自民党文教科学部会「文化芸術の振興に関する小委員会」にて講演
12月7日に施行された「文化芸術振興基本法」成立の一助となる |
| 2002年 4月 |
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ENJIN-01 カルチャークラブ部門(渡辺プロダクション内)を新設、各界のエキスパート・文化人の活動をサポート。 |
| 2003年 4月 |
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財団法人 音楽産業・文化振興財団 副理事長再就任 |
| 2004年 4月 |
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社団法人 私的録画補償金管理協会 理事就任 |
| 2004年 4月 |
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フランス政府より「芸術文化勲章オフィシェ」、カンヌ市より「パルムドール賞」を受賞する
長年にわたる日本とフランスの文化交流を深め、音楽産業、音楽文化の向上発展に尽くし、国際的にも多大な功績を築いてきたことを認められ、「芸術文化勲章オフィシェ」をフランス政府から、カンヌ市から「パルムドール賞」を授与され、第38回MIDEM(国際音楽産業見本市)において授賞式が行われる。 |
| 2004年 6月 |
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社団法人 音楽出版社協会(MPA) 名誉会長(新設)就任 |
| 2005年11月 |
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渡辺プロダクション創立50周年記念パーティー開催 |
| 2005年12月 |
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日本レコード大賞より「特別功労賞」受賞 |
| 2006年 1月 |
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記念展覧会「Pocketful of Dreams 抱えきれない夢」丸ビルにて全国展開スタート |
| 2006年 8月 |
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長野県諏訪市、まるみつ百貨店にて「抱えきれない夢」展覧会開催 |
| 2007年 1月 |
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石川県金沢市めいてつ・エムザにて「抱えきれない夢」展覧会開催 |
| 2007年 4月 |
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社団法人 私的録画補償金管理協会 理事再就任 |
| 2007年 8月 |
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東急渋谷本店にて「抱えきれない夢」展覧会開催 |
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| (現在) |
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株式会社 渡辺プロダクション 代表取締役会長
渡辺音楽出版 株式会社 代表取締役会長
財団法人 渡辺音楽文化フォーラム 理事長
財団法人 東京音楽祭協会 理事
社団法人 音楽出版社協会 名誉会長
社団法人 私的録画補償金管理協会 理事
IFPMP理事に再選 |
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